CONCEPT

誰に評価されることもなく、世の中に出ることがなくてもいい。
なれど、先輩から受け継いだ昔ながらの作り方を次の世代へ伝えるために
本物を追求するこだわりこそ私の至極の喜びです。

レトワール・ドゥ・ジェアン 料理長 佐伯宏彦

「今日は新鮮な伊勢海老が入りました」

「そう!それをいただこうかな」

何度かお越しいただくうちに、お客様のお好みも分かってまいります。季節も変わりその時その時の旬の食材でおもてなしすることができ、お料理を堪能していただける。これこそ料理人の至極の喜びだと感じております。

18歳の夏、私は料理人になりたい一心で、昭和48年当時福岡で唯一のフランス料理店だった“花の木”の門を叩きました。そこで出会ったのが今日の日本のフランス料理を支えてきた井上旭でした。井上に師事し、福岡から銀座、京橋の板場で修業。

その後スーツケース一つで渡仏し、星なしレストランでのまかない担当からスタートし、パリで店を立ち上げ8か月で2つ星を取得するという経験を経て帰国。このよし川で24年が経とうとしています。

「やっぱり、これが本当のフランス料理だね」

そう言っていただけるおなじみさんの嬉しい言葉に救われます。
師匠から叩き込まれた“うまい料理はソースにあり”のソースの仕込み。フォン・ド・ボゥ、コンソメ、フュメ・ド・ポアソン、アメリカン・・・。フランス語も分からないまま辞書片手に原書を開き、必死で想像する本物のフランス料理。師匠が少し苛立ちながらつぶやく「本場の味はこんな味じゃないんだ」という言葉を聞きつづけ、本物が知りたいと渡仏して習得したフランス料理の味と心。

今はソースも市販され手軽にフランス料理が作れるようになりました。18歳当時に読みふけったフランス料理の本にあった定義などもなくなりつつあります。そんな中、私が骨を仕入れオーブンで焼いて出汁を取るという昔ながらの作り方や、素材素材にあわせた下ごしらえの仕方にこだわるのには、いくつか理由があります。今日はその中の3つを紹介します。

1つ目は奥深い料理の味とおいしいワインが重なった時のなんともいえないあの感動こそ、
本当のフランス料理だと考えていること。

2つ目は前出のお客様のように、ここに本物のフランス料理を楽しみに来ていいただくお客様のため。

3つ目は、先輩たちから引き継いだものを次の世代へ伝えるため。

先輩たちが、その当時手に入る本当に限られた素材で、なんとか本場のフランス料理の味を出そうと格闘したからこそ、今の日本のフランス料理があります。その姿を見てきた自分たちは、それを引き継がなければいけないと強く感じています。だからこそ、一切手を抜かず、味も心も大切に守り続ける。

フランス料理の心を最初に教わったのは“花の木”の鉄板焼きでした。簡単なようですが奥が深い。実質労働時間18時間という下働きから抜け出したい一心で、毎日閉店後に焼く練習を続けました。焼くのは野菜くずやパンです。そうしていると時々先輩が「これ食べたいから焼いてくれ」と鶏肉を渡してくれるようになりました。お客様とお話をしつつ、お好みの焼き加減、食べるスピードを見て、食べ終わったときに適量がお皿に乗っているようにする。初めてお客様の前で焼かせていただいたのは、クリスマスシーズン。フランス料理のほうに人手が取られ、ピンチヒッターでのデビューでした。

「こいついけるよ!」

というおなじみさんの言葉で、自分の持ち場が一つできたのです。
その鉄板焼きだけは、自分の店でもどうしてもお出ししたいという思いで、オープンする時に大きな鉄板を設置した部屋を設け、現在でも1日1組限定の完全予約制にて承っております。

 

1日1組限定の鉄板焼きの詳細はこちらから>>

 

佐伯宏彦

佐伯宏彦

シェフプロフィール

佐伯 宏彦
1955年(昭和30年) 3月18日 生まれ  福岡県出身
18歳でフランス料理の世界に入る。
最初の店、福岡のレストラン“花の木”にて現在日本のフランス料理界の第一人者井上 旭(いのうえのぼる)氏に出会う。以後、東京銀座 “レカン” 、京橋 “ドゥ・ロアンヌ” にて8年間弟子として修行、25歳でフランス国に渡る7年半のフランス国修行の後期3年半をレストラン“ドゥケノア” にて副料理長としてオープンしてわずか 8ヶ月でパリの2ツ星店にする。
31歳の終わりに帰国し、名古屋にて“レトワール・ドゥ・ジェアン” の料理長に就き、現在に至る。

 

 

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